

川瀬 巴水
JP
384
作品
1883 - 1957
生没年
アーティストの経歴
川瀬巴水(かわせ はすい、1883年5月18日 – 1957年11月7日)は、20世紀日本で最も重要かつ多作な木版画家の一人です。「新版画」運動の主要な人物として、巴水は伝統的な日本の美意識と西洋の芸術的影響を巧みに融合させ、特に情感豊かな風景版画でその才能を発揮しました。東京市芝区に川瀬文治郎として生まれた彼は、夜明け、夕暮れ、雨、雪、月夜といった日本の多様な風景の静謐な美しさと大気のニュアンスを捉える卓越した能力で知られるようになりました。その作品は、しばしば静けさと細心のディテールを特徴とし、急速な近代化の時代における理想化されつつも共感を呼ぶ日本のビジョンを描き出し、国内外の観衆を魅了しました。
巴水の芸術への道は、若い頃には困難が伴いました。生糸や糸の卸売業を営んでいた両親は当初、彼が芸術の道に進むことに反対し、家業を継ぐよう促しました。しかし、26歳の時に家業が破産したことが転機となり、芸術に専念する道が開かれました。それ以前にも、画家青柳墨川から初期の指導を受け、荒木寛友に師事して筆画を学んでいました。本格的な指導を求め、著名な日本画家鏑木清方に弟子入りを志願しましたが、当初は洋画を学ぶよう勧められました。巴水はこの助言に従い、岡田三郎助のもとで2年間洋画を学びました。その粘り強さが実を結び、再度清方に弟子入りを願い出て許され、「巴水」という雅号を授かりました。これは「泉から湧き出る水」を意味し、彼の姓「川瀬」(川の急流)と響き合い、後の作品の流動性や自然のテーマを予感させるものでした。叔父であり、著名な作家で漫画の先駆者でもあった仮名垣魯文も、初期の創作活動に影響を与えた可能性があります。
巴水のキャリアにおける真の転換点は、木版画への進出でした。伊東深水の連作「近江八景」の展覧会に感銘を受けた巴水は、深水の版元であり、新版画運動の主要な推進者であった渡邊庄三郎に接触しました。1918年のこの出会いは、長く実り多い協力関係の始まりとなりました。渡邊は巴水の最初の試作版画を出版し、続いて「東京十二景」(1919年)、「東南八景」(1919年)、最初の「旅みやげ」(1919年)といった成功作を発表しました。しかし1923年、関東大震災が東京を襲い、渡邊の工房は壊滅的な被害を受け、巴水の完成した版木や、貴重な風景写生が詰まった188冊以上の個人的な写生帳も失われました。巴水自身もこの災害で家を失いました。
この甚大な損失にもかかわらず、巴水は驚くべき回復力を見せました。1923年後半、彼は日本の北陸、山陰、山陽地方を巡る広範な写生旅行に出発しました。これらの旅、特に102日間に及ぶ旅行で得たスケッチは、その後の多くの版画の基礎となり、第三集「旅みやげ」(1924年)もその一つです。この時期、彼の作品は色彩の鮮やかさと構図の写実性が顕著に増し、名声をさらに高めました。1925年の版画「東京二十景」シリーズの「芝増上寺」は大成功を収め、彼のベストセラー作品の一つとなりました。もう一つの人気作品「馬込の月」は1930年に制作されました。渡邊との継続的な協力関係や、アメリカの鑑定家ロバート・O・ミューラーなどの尽力により、巴水の版画は国際的に高い評価を得、特にアメリカでは1930年代半ばまでに主要な風景版画家と見なされるようになりました。
巴水の芸術スタイルは、旅の途中で直接観察して描いた風景画や街景画にほぼ専念していることが特徴です。有名な歴史的・観光的名所(名所絵)を描くことが多かった初期の浮世絵師とは異なり、巴水はしばしば静かで目立たない場所を選び、都市化しつつある日本の静かな美しさを捉えました。彼は、雪の穏やかな降り方、夕暮れの柔らかな輝き、雨に濡れた通りの反射光、月明かりの夜の静寂など、大気の状況を描写する名人でした。自身を写実主義者と考え、遠近法や自然光の表現に洋画の訓練を取り入れていましたが、その作品は深い詩的・感情的な反応を呼び起こします。彼は、望ましい効果を得るためには、絵師、彫師、摺師の間の「以心伝心」が必要であるとして、新版画の協調的な性質を強調しました。彼の版画に人物が登場することは稀ですが、登場する場合はしばしば孤独な姿で描かれ、場面のスケール感や瞑想的な雰囲気を増幅させ、時には彼自身の孤独や人間に対する自然の壮大さを反映していると解釈されることもあります。
約40年にわたる芸術家人生で、川瀬巴水は約620点の木版画をデザインしました。その技術への献身と日本文化への貢献は1956年に正式に認められ、人間国宝に認定されました。この栄誉は、彼の版画「増上寺の雪」(1953年)に一部基づいており、その制作過程は政府によって綿密に記録されました。第二次世界大戦中の空襲で再び家を失うという個人的な悲劇に見舞われながらも、巴水は創作を続けました。1957年11月7日、癌のため74歳で逝去しました。「昭和の広重」あるいは「旅情詩人」としばしば称される巴水の遺産は、今も生き続けています。彼の版画は、その卓越した技術、静謐な美しさ、そして日本のノスタルジックな描写で称賛され、スティーブ・ジョブズのような著名人を含む収集家によって高く評価されています。彼の作品は世界中の著名な美術館に収蔵されており、日本の風景版画の最後の偉大な巨匠の一人としての地位を確固たるものにしています。